カルマヨガは「行為のヨーガ」とも呼ばれ、自己の行動を通じて精神的な成長や解放を追求する方法を指します。
そもそもカルマとは、行為や行動の意味を表し、個々の行動がその人の運命や結果に影響を与えるという信念に基づいています。カルマヨガの目的は、自己の行動を善行や道徳的な行為に通じるようにし、心を浄化し、真理や神との結びつきを深めることです。
ヨガの聖典「バガヴァッドギーター」(カルマヨガの聖典)によれば、ヨガには大きく分けると家庭や仕事などの役割を持つ者のカルマヨガと、家庭や仕事を引退し聖典の探求に没頭し知識を求めるジニャーナヨガの二つの道があるということです。
修行僧のような世捨て人と呼ばれるような人間ではない限り、ジニャーナヨガの実践は難しいため、多くの人々が実践できるヨガがカルマヨガと言えるでしょう。
カルマヨガの実践者は、自己の行動に対して責任を持ち、善行を行うことを努めます。そうすることで、利己的な欲望や執着を手放し、無私の心で行動し、他者の幸福と利益のために尽力します。
カルマヨガの実践は、日常生活の中で行われます。仕事や家族との関係、社会的な活動など、あらゆる行動がカルマヨガの一環として捉えられます。自己の行動に対して意識的に取り組み、善行を行うことで、個人の成長と解放を追求するのです。
カルマヨガの教えは、自己の行動によって運命や未来を創造する力を持つという考え方に基づいています。自己の行動に意識を向け、善行を積み重ねることで、心の浄化と解放を実現するとされています。
なお、カルマヨガはヒンドゥー教やヨーガ哲学の一部として提唱されていますが、宗教的な枠組みにとらわれずに個人の道徳的な成長や精神的な解放を追求するためにも、幅広く応用されることがあります。
さて、カルマヨガで重要な点は、結果や報酬に執着しないという点です。そして、行動そのものへの意識と精神的な成長を重視します。
具体例をあげて説明していきましょう。
Aさんは病院で看護師として働いていました。ある日、末期がんの患者さんが入院してきました。その患者さんは、もう助かる見込みがないと言われていました。しかし、Aさんは、その患者さんに何かできることがないかと考えました。Aさんはその患者さんに、できるだけ快適に過ごしてもらえるように、看護をしました。また、その患者さんの話を聞いたり、Aさんの話を聞かせてあげました。その患者さんは、Aさんの話を聞いて、とても笑顔と喜びに包まれました。けれども、その患者さんは、数日後に亡くなりました。患者さんはこれまで誰からも優しくされてこなかったのですが、病気を通じて初めて人の優しさに触れたのです。そして、Aさんは、その患者さんに一生懸命自分ができるケアができたことを、とても嬉しく思いました。この経験から、Aさんは、助かる見込みがない人を助けること、そして、その人の話を聞いてあげることの大切さを学びました。たとえ、助かる見込みがなくても、その人の人生に少しでも寄り添うことができれば、その人にとって大きな意味を持つのです。
「どうせ助からない人間を助けても無駄」だと外野の人間は冷たく突き放すかもしれません。確かに、助かるか助からないかの結果だけを考えれば、看護の努力が無駄といえるかもしれません。しかし、Aさんと患者さんにとってはものすごく精神的成長につながっているのがこのようなエピソードからわかります。
道案内なども日々の生活で実践できるカルマヨガと言えます。「ある日、道で迷っているお年寄りを見かけたとしましょう。お年寄りは、地図を見ながら、困った様子で立ち尽くしています。お年寄りに声をかけ、道案内をしました。お年寄りは、私の助けをとても喜んでくれました。」
ただし、このような例えでは救った相手が最後に感謝してくれていますが、現実には道を教えても感謝も示さないような人もいるかもしれません。感謝されるために道案内をしてはいけない、見返りを求めてはいけないというのがカルマヨガの教えなので、そのような点を考えるとカルマヨガは結構ハードルが高いと言えます。
よって、カルマヨガの実践は無償の愛を与えることに等しいと考えます。
無償の愛とは、自己の利益や報酬を求めることなく、他者に対して純粋な愛情を示すことを指します。これは利他的な愛とも関連しています。無償の愛は、相手の欲求や利益に対して無条件で思いやりを示し、彼らの幸福や発展を願う態度です。自己中心的な動機や利益追求から離れ、他者の利益や幸福を最優先に考える姿勢を持つことが特徴です。無償の愛は、自己の欲求や利益を超えた高尚な愛であり、善意や思いやりの根底にあるものです。他者に対して無償の愛を示すことで、自己の幸福や充足感も深まります。
無償の愛を注いでいるような人に出会うこというのはとてもめずらしいのですが、そのような人に出会った覚えがいくつかあります。やはり、心にとても余裕があって大らかであり、優しいオーラに包まれているような感じです。まさに、カルマヨガをこのような人は実践されておられるのだと思います。