式子内親王
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする
「私の命よ、絶えるのならば絶えてしまえ。このまま長く生きていくうちに、恋に耐え忍ぶ力が弱まってしまうといけないから。」
小倉百人一首の有名な恋の辛さを歌った一歌です。
実はこの玉の緒は色んな意味があり、現在では霊性を排除して物質主義的に表面的な意味しか捉えないという風潮があるのでその本来の意味が消されているのですが、この玉の緒は「魂を身体につないでおく緒」という意味ではないのか?というのが心霊学者の間での見解です。
何とも不思議ですが、脳髄と霊魂とを繋ぎ止める糸のようなものがあって、その糸が切れると死を迎えると言われています。そのような糸を見る能力がある人もいるとかいないとか。
いわゆる個人が勝手に行う幽体離脱というのは霊魂と脳髄が繋ぎ止められたまま、霊魂を飛ばすことによって遠くの世界を見るのですが、この糸が死霊的な要因によって切られてしまうと、命を失うなどという話をどこかで見聞したことがあります。これが幽体離脱危険説です。「幽体離脱できたけど、戻れなくなりそうだから戻った」といった話はよく聞く話であり、玉の緒が切れてしまう怖さを潜在意識的に理解しているんでしょうかね。
いわゆる霊能者や優秀なスピリチュアルヒーラーなどは守護ガイドを使って外の世界を視るなどと言いますが、そのような手法だと安全だと言われています。しかし、残念ながらこれはかなり高度な業のようですね。陰陽師などは式神を飛ばして視ると言われています。
さて、この玉の緒ですが海外ではシルバーコードという名前で呼ばれ、日本と同じく人間の肉体と霊魂をつなぐ銀色の紐のことを指します。
アメリカの医師であったキルツェ博士の蘇生に関する報告がなかなか面白いです。内容をご紹介します。
キルツェ博士は死に際していた時に、霊体が肉体を離脱して戸外を行くとき振り返ると、自分の死体は半ば開いた戸口を通して正面に見え、不思議なことに蜘蛛の巣のような一本の白い糸が氏の肩の後ろと死体の頭の付け根とか微かに繋がっていたそうです。
つまり、この糸が切れていたら、上記のような幽体離脱体験も語られることがなかったということになりますね。
玉の緒、シルバーコード、、怖いけど一度見てみたいですね。